林業ツアー in 東吉野町&川上村 樽丸編
Moi.
どうも、Taichiです。
林業ツアーの後編は川上村の樽丸職人、春増 薫(はるまし かおる)さんの工房を見学して来ました。
林業ツアーとは日本の山、林業をもっと深く知り、木の文化や山の現状を世に知らしめるため、 一人で勝手に企画・実行しているツアーのこと。様々な形で木材に関わっている人たちを取材し、木に対する想いを聞き出してゆく。
- 樽丸とは
ここでは、杉の木から作られた湾曲した板を竹で締めた樽のことを言います。吉野林業は別名、樽丸林業ともいい、樽丸をつくるために最適化されて来た歴史があるのです。
樽丸に適した木材、それは「無節である」こと。
樽丸はその昔、酒を運搬するために作られて来ました。液体を入れて運ぶため、木材に節があるとそこから漏れだしてしまうのです。そのため吉野の木材は、節がない材を育てるために、「吉野林業」と言われる育林法を確立しました。
吉野林業の特徴は「密植」「多間伐」「長伐期」
密植とは植林の際、通常1ヘクタールあたり3000本の苗木を植えるのですが、伝統的な吉野林業では10000本もの苗を植えます。木は成長するにつれ葉が生い茂り、その密度ゆえ光の確保が困難になっていきます。そのせいで木は光を求めて上へ上へと成長してゆき、吉野材の特徴である「通直完満」が実現されるのです。
通直完満とは、まっすぐで根元と先の直径に大きな差がなく、年輪が一定である材を表現する言葉です。
それらの吉野林業を特徴付ける手法は全て、良い樽丸を作るために開発されたものです。
そんな吉野でも樽丸職人はわずか数名になってしまいました。酒を運ぶ手段が樽から瓶へ移ったからです。そんな貴重な技術を継承した春増さんは、今でも川上村で樽丸を作るための板を作り続けています。
まず、丸太を放射線状に割ります。
そして、少し湾曲した形の板を取り出していきます。
これを大きさや形を整え、よく乾燥させて樽の形に合わせていきます。
なぜ切るのではなく割るかというと、理由は様々あるのですが、一番大きな理由はノコギリが無かったから。実はノコギリの歴史というのは結構浅く、室町以前は一般的ではありませんでした。だから日本人は繊維方向に割裂しやすい杉を好んで使って来たのです。
春増さんの家も代々林業を生業として来たそうです。
「今、吉野の山の全ては管理しきれてない。放って置かれて問題になる山もたくさんある。そもそもこれから人口減少社会に入って行くんだから、今までのように全ての山で林業をするんではなく、適切に伐採した後は自然に戻して行くのが一番いいと思う。」
そう語ってくれました。
木材の使われ方も時代とともに変化して行きます。樽丸で林業を確立し、建築で財を成した吉野の木は、次の時代どのように使われて行くべきなのか。それを林業家や製材業、建築家やデザイナーまでが自分の分野を超えつつ、協働して考えなければいけないのです。 「川上から川下まで」木の流通を川にたとえていう言葉ですが、全体を俯瞰して木材を扱える建築家になるのが僕の一つの目標です。それに一歩近づいた、吉野林業ツアーでした。
では。
生駒山のピザ屋/ Yamaoka Pizza
Moi.
どうも、Taichiです。
生駒山の上にある人気のピザ屋、山岡Pizzaへ行って来ました。
ここはもともと山の中で、自閉症やアスペルガー症候群の子供を見るための診療所でした。
そこの院長であり、ピザ屋の仕掛け人でもある建築家の方のお誘いで、ご飯を食べに行くこととなりました。
峠を越えてしばらく進むと、おとぎ話に出て来そうな門構え、そして建物が見えて来ます。
ほとんどがDIYというから驚き。
自然豊か、というかむしろ自然に飲み込まれそうです。
外にはテラス席とテント席。4月末はまだ肌寒い生駒山頂。
扉や貼ってある板など、目に見えるものはほとんど廃材を拾って来たものだというから驚きです。当時、廃材を使うなんて発想はほとんどなかったそうな。今では新材より高値がつくビンテージものもあるそうです。
中はこんな感じ。この窓から奈良の盆地が一望できます。窓も廃材。昔のガラスなので表面が均一でなく少しゆがんでいて、なんとも言えない雰囲気を出しています。この建物に凄く合っている…。
奥に行くと暖炉とカウンター席があります。暖炉も全て手作り。おしゃれな山小屋。
お店は完全予約制で、当日飛び入りはお断りしているそうです。山の上で予約必須、それでもこのお店は連日お客さんがたくさん訪れています。僕が行ったのも月曜日の夕方でしたが、5〜6組はいました。
その人気の秘訣はなんと言っても美味しい料理。本格的なピザ釜で焼いているピザは、梅田や難波でも食べられないくらいの美味しさ。ワインは全てオーガニックで、すっきりとした味わい。トマトのオーブン焼きやアボカドグラタンなど、何を食べても本当に美味しい。
大阪の中心からはお世辞にも近いとは言えない距離ですが、大阪、奈良に訪れた人には絶対にオススメしたいお店でした。
抜群のロケーションと雰囲気。
ウエディングやグランピングなどができるように改装する案もあるとかないとか。
ぜひ一度、足を運んでみてください。
では。
「森を守るには木を伐れ」そのわけとは
Moi.
どうも、Taichiです。
相容れない関係に思えますが、これらはある条件を満たせばイコールの関係になります。
それこそが僕の目指す健全な森林あり方。
今日はそんな話です。
知の見取り図というサイトで、こんな本棚を見つけました。
「森を伐らない」
木を伐るとは、どういう行為なんでしょうか。
森林伐採と聞いてみなさんが思い浮かぶ光景はきっと、豊かな生態系を持つ熱帯雨林が、大規模なプランテーションに置き換わってゆくこの光景では無いでしょうか。
熱帯雨林が
皆伐され
プランテーションに置き換わる。
これらは森林伐採であり、森林破壊です。許される行為ではありません。土地を収奪し、雇用を奪い、生態系を破壊し、先進国の利益となる。持続可能なわけがありません。
しかし森林伐採、すなわち「木を伐る」という行為は、何もこれだけではありません。
上の例は熱帯地域の話。
では日本の森林伐採を見てみましょう。
樹齢30年前後のスギ。まだ径が小さく、密集しています。
樹齢50年。20年の間にうまく育たなかった木や曲がった木などを間伐して、密度を調整します。
樹齢70年。ここまでくると立派な木材として出荷できます。主な収益となる木材を、主伐材と呼びます(それ以外が間伐材)
どうでしょうか。これがあるべき「森林伐採」の姿です。
生態系は維持され、雇用や収益をその地域に生み出し、その上持続可能です。
同じ木を伐るという行為が、ここまで真逆の結果を出すということ、あなたはご存知でしたか?
「森林伐採は悪である」
それはこう言い換えるべきです
「森林”皆伐”は悪である」
皆伐とは読んで字のごとく、すべての木を切ってしまうことです。それは森が長い時間をかけて培ってきたものすべてを一瞬で消し去ってしまう行為。
林業だって立派な森林伐採ですが、それは植林、手入れ、間伐、主伐、そしてまた植林と、森林の中のサイクルを維持しながら70年、80年という長い時間をかけて行うもの。そして人工林は、必ず人間の手を加えなければ、そのサイクルを維持できません。(日本の森の4割が人工林)
間伐や手入れを怠ることは森林サイクルを崩すことであり、すなわち森林破壊につながるのです。
「森林破壊」「森林伐採」という言葉だけが一人歩きしています。しかし実際は場所や森林の種類、方法によって様々な意味があるのです。
こと日本において、これだけは確実に言えます。
「森を守るには木を伐れ」
では。
働きたくない学生の言い訳
「社会人」と「学生」という線引きは、「新人一括採用」というシステムによって作られたラインであって、それ自体が何か意味を持つものではないんじゃないでしょうか。
「社会人」という言葉を辞書(日本国語大辞典)で引くと、「学生に対して用いられる言葉」とあります。ある基準線があり、「学生」の対岸にいるのが「社会人」である。つまり「新人一括採用」と「就活」という、戦後の日本が均質な人材を量産するためのシステムが作った線引きの上に定義されているのが「社会人」という言葉です。語釈から分かる通り、それ自体に特別な意味を持つわけでは無く、単純に「学生」の対となるものとして作られた言葉です。
先のシステムは日本独自のものです。そして社会人という言葉はそのシステムに紐づけられている。その証拠に、英語には社会人に対応する言葉は見出し語ではなく、「社会」の派生語として載っているだけです。
学生の定義は単純明快ですが、社会人はその内包するものが広大で多様で、一括りに出来るものではありません。あくまでも学生の対義語であって、定義が自立していない。そんな定義の甘い言葉を使ってあれこれ議論しても、糠に釘というものではないでしょうか。
就活と新人一括採用は高度経済成長を支えた画期的なシステムでした。企業はオートマティックに人材を確保でき、雇用された人たちは「終身雇用制度」と「年功序列」という安定を約束された庇護を手に入れることが出来ました。
しかしもはや日本は成長を続ける時代ではなくなりました。2007年にピークを迎えた生産年齢人口の減少に伴って、地価やGDPが上がり続ける時代は終わりました。何もかもが右肩上がりの時代に作られたシステムが、今後も都合よく回るとは思えません。
そんな時代にあって、学生が膨大な時間を割く先が「就活」であっていいのでしょうか。
要するに僕はまだ働きたくありません・・・。
林業ツアー in 東吉野町&川上村
Moi.
どうも、Taichiです。
同行は二人。
もともと吉野とは縁があって何度も訪れていました。吉野といえば桜ですが、桜を見に行ったことは一度しかなく、製材所や工場などの見学ばかりです。
今回も御多分に洩れず、桜ではなくスギやヒノキを見に行きました。4月の下旬、多分観光地では桜が綺麗だったんだろうな…。
まずは東吉野村へ行き、大前銘木店の大前さんに銘木の倉庫や山仕事の様子を見せてもらいました。大前さんは一人で山の手入れ、伐採、搬出、販売をしているスーパーおじいちゃん。御歳68。ひょろっと見えるのに筋肉ムキムキ、その辺の大学生でも腕相撲では勝てないレベル。自然で身につく筋肉は違うなぁ。
林業は息の長い仕事で、植樹から伐採の1サイクルがなんと60年から80年。今切っている木は大前さんのおじいさんが残してくれた木々だそうです。
木を伐採する時期は決まって冬。春や夏に伐採してしまうと、虫に食われたり、腐りやすい木になってしまいます。原因は中の栄養分。
今は4月。伐採を終え、乾燥しておいた材木を山から搬出し、製材所や倉庫へ運んでいきます。搬出はヘリか手出し。ヘリで出す分は一週間前に全部終わったそうな。見たかったな。
ヘリで出すのは傷がついてはいけない高級木材などで、床の間などに使われるものです。いわゆる銘木。製材せずにそのまま使います。今回搬出していくのは通常の材木。製材して整え、柱などに使います。
この山には林道がないので、搬出に大掛かりな林業機械が使えません。麓までワイヤーで引きずったり、滑り落としたりして運びます。かなりの重労働+非効率さ、でも急峻な地形ゆえ仕方ないのです。
一見普通に移動しているように見えますが、あたりは平坦なんてまるでない、すごく急な斜面です。いつ転げ落ちるかわからない恐怖と戦いながら撮影していました。
樹齢30~40年ほどのスギやヒノキが立ち並び、風に揺らめく様子は美しく、よく手入れが行き届いた山ほど光が燦々と降り注ぎます。
吉野林業は500年の歴史があり、最も古い林業地とも言われています。その特徴は密植。通常なら3000本の苗木を植える面積に、なんと10000本もの苗を植え付け、その後徐々に間伐を繰り返します。超密植の理由は光。ひしめき合った木々はそれぞれの葉っぱで空を覆い尽くし、あたりは暗くなります。木にとって光は命。なんとかして隣の木より光を獲得しようと、上へ上へと伸びてゆくのです。そのため、吉野のスギ、ヒノキは他の産地よりもまっすぐ、一定の太さで育ちます。
そんな美しい山と木々を誇りに、大前さんは毎日山仕事に勤しむのでした。
この後は川上村の樽丸職人を訪ねます。それは次の記事で。
では。
新概念と流行り言葉、サスティナビリティにコミットする?
Moi.
どうも、Taichiです。
映画で何度もぼろ泣きしたのですが、小説では辞書作りに対する想いの方がひしひしと伝わって、辞書を愛でたいなぁという気持ちでいっぱいです。
そんなわけで今日は言葉の話。
「ニート」という言葉が世に広まってから久しいですが、元々の意味を知っている人はどれくらいいるでしょうか。wikipediaを引用してみます。
ニート(イギリス英語: Not in Education, Employment or Training, NEET)とは、就学・就労・職業訓練のいずれも行っていないことを意味する用語である。
我々が普段使っている意味と違うことに気づきましたか? 日本語の「ニート」が意味するところは働く気のない怠け者、無職、場合によっては失業者やフリーターなど、定職に就いていないものまで含めることがあります。これらはオリジナルから見ると完全なる誤用ですが、日本語としては既に定着してしまっています。
イギリスで作られた「NEET」という言葉は、「教育、雇用、職業訓練に参加していない 16〜18歳の若者」を一括りに表す新しい概念でした。対して日本語の「ニート」とは、今まで「すねかじり」「穀潰し」「プー太郎」などと言われていた人を表す言葉の代用としてまかり通っているに過ぎません。
言葉は次々と新しく生まれ、その意味は刻々と変化していきます。新語の中には既成概念を言い換えたものもあれば、新しい概念を表すために作られたものもあります。「ニート」は前者で、「NEET」は後者です。そして「ニート」は流行り言葉であって、いつかは廃れて行きます。
言葉にも流行り廃りがあり、そしてそれがあたかも全く新しい概念を表す言葉かのように振る舞うことが多々あります。ありがちなのはカタカナ英語。日本語にも言い換えられる言葉をあえて英語を使うのは、「流行り」だと言わざるを得ません。
しかし英語には、日本語に元々存在しなかった概念を表す言葉が多々あります。最近の言葉では「sustainability」や「identity」、古くは「society」「individual」などがあります。「持続可能性」「自己同一性」「社会」「個人」などは、これら新しい概念を表す言葉を翻訳して作られた新しい日本語でした。
むやみやたらに流行り言葉を使うことは、受取り手の混乱を招きます。「結果を約束する」といえばいいところをあえて「結果にコミット」と言い換えることは、プロモーション戦略以外に妥当な理由はありません。流行り言葉なのか、新しい概念を表す新語なのかは慎重に判断せねばならないのです。
今の時代、辞書を引く人も少なく、言葉に対して敏感な感性を持つ人も少ないように感じます。言葉は想いを伝えるための道具ではありますが、もう少しその道具への敬愛の念があっても良いのではないかと、常日頃から思うのです。
では。
森のようちえんをクラウドファウンディングで支援 / 家族との付き合い方・伝え方
Moikka.
どうも、Taichiです。
自然保育!森のようちえん園児の為の園舎を作りたい!(内田幸一(うっちゃん)) - クラウドファンディング Readyfor (レディーフォー)
森のようちえんを存続させるためのクラウドファウンディングを支援しました。
森林再生のためには、建築家や林業家の努力だけでは足りません。一般の方々の木に対する想いが必要です。だから木育や自然保育は日本の山のことを考えると、必要不可欠なのです。僕は直接子供達に木の素晴らしさを教える機会がないので、この保育園を支援します。
さて、本題はこのクラウドファウンディングではなく、小一時間前僕に起こった出来事。
支援額を一万円にするか三千円にするか迷いました。できれば一万円がいいけど、そんなに安い額じゃない。一人だと高いなら何人かで出せばいいじゃない、と思い母に「ちょっとこれ読んでみて。この保育園のクラウドファウンディング、支援しない?」そう話しかけた瞬間…
「いやー!嫌嫌イヤイヤ!!」
なんなんその拒絶、いやいや何回言うねん。「支援」とか「クラウドファウンディング」って言葉が胡散臭く感じたんでしょうか。文章を読みもせず全力拒否。僕は物事を知ろうともしない母に呆れと怒りを感じてその場をすぐに立ち去りました。
伝え方が悪かったんだろうか。もっと時間をかけて話をすべきだったんだろうか。
日頃の行いが悪いんだろうか。もっと真面目に振舞っていれば話を聞いてもらえたんだろうか。
家族と真面目な話をするのが苦手だ。別に家族仲が悪いわけじゃない。ただ、人には見せない部分を家族には常に見せている。唯一、人目を気にせず接していられる人だからこそ、わかってもらえない部分があるんだと思い始めている。
でも、本当に大事なことを世の中に広めようとするとき、説得しなければならないのは、目の前にいる母親のような、何も知らない人たちなんだ。この壁がいかに大きくて、分厚くて、小手先じゃ通用しないものか、悩まされる。人を説得するのは難しく、理論や正論がもろく崩れ去ることがいつでも起こりうる。伝わらなければ、言ってないのと同じだ。
僕の家族は変化や革新を望まない。安定と安心があればそれでいいんだ。日本中に同じような人がたくさんいる。僕らの子供や、その先の世代がどうなろうと知ったこっちゃない。目先のことを考えるので精一杯。一生懸命何かをやっている人たちを知りもせず嗤い、疑い、遠ざける。そんな人たちを相手にしなければならないと思うと、憂鬱な気分に苛まれる。
人を動かすにはストーリーが必要だ。物語が必要だ。それは人に憧れを抱かせ、感情移入させ、そして行動を促す。
「今でなければ あなたでなければ ここでなければ」
リノベーションスクールで大島さんが語った言葉だけど、人を説得しなければならない全ての場面において必要な考え方なんだと思う。
ストーリーが語れるようになりたい。人を、良い感情で動かしたい。
「あなたがこれをすることで、喜ぶ人がいるんだ。よかったね。」って。
では。