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Moi.
どうも、Taichiです。
どれだけ物事がうまくいかなかったとしても
失敗続きで何もかも放り投げてしまっても
過去に理由をつけることは後からいくらでもできる。
だからこの数か月間をなかったことにはしたくない。
しばらく人生の休暇をとっていました。すべきことは一旦全部ほっぽりだして、自己防衛の為の自堕落を肯定して、好きなことだけやってました。
そのせいで失ったこともあるけど、メンタルは大分回復して、新学期を迎えられそう。
もし今留学を終えたとすると、「留学で何を学んだか」と問われると、何もなかったと答えるしかないと思います。当初の目的としては。
建築や林業のことはほとんど学べてません。建築に至っては、学べるスタートラインにも立てていなかった。基礎的なこと、設計やデザインをもっとやってからきていれば、もっと充実してただろうと思う。
というのも、Wood Programの内実は大学院レベルだったんです。授業が始まってからしりました。学部2年生を終えただけの自分にはハードルが高かった。授業もスタジオも。周りは院生や仕事の経験がある人ばかり、ほぼグループワークしかないWPのスタジオでは何もできずわからず、わからないことを聞こうとしてもすべてわからない、わからないことがわからないような状況で、さらに公私ともにいろんなことが相まって精神のHPをゴリゴリと音を立てて削られ、11月ついに学校に行くことをあきらめました。
もともと、秋から冬にかけて精神的に落ち込む嫌いがありました。高校の時不登校になったのも、受験勉強の意欲が停滞してくるのも、仲良かった友達を避けて無意識に顔を合わせないよう行動し始めるのも、全部この時期。
元来の性なのか、日照時間やらの環境的な原因なのか、あるいは鬱かなにかの精神病なのか。きっとすっぱり分けることはできなくて、まじりあってるんだろうと思います。
でも自分のことを考えて、それに向き合った期間でもありました。
人に言えるような学びはないけれど、自分のことを知る上では貴重な時間だったと思いたい。
フィンランドは精神病もごく一般的に受け入れられています。高校や大学には専門のPsycologist、精神学者がいて、だれでも相談できるようになっています。
友達や先生も、その時の僕の状況を話すと、こぞってそのサイコロジストのところへ行ってみるといいよ、とアドバイスをくれました。
学校のカウンセラーに相談しに行ったり、精神科を受診することは日本では敷居が高いと思います。カウンセリングというものを初めて受けて、その重要さを身をもって理解しました。高校の時にこんなのがあれば、もっとましな高校生活を送っていたんじゃないかと。
そして、周りの友人や師、そして家族が、自分の精神安定に大きくかかわっていたことを知りました。
人間だれしも自分を語りたい。自分の話を誰かに聞いてほしい。
母国語と母国の文化から切り離された状況で一番感じたことです。
と、ここまでは12月中旬までの話。
クリスマスが明けたころ、友人が日本から遊びにやってきました。
偶然が重なって、その時期にトビタテの人たちとも会って話をする機会があって、本当に久しぶりに楽しく話をしました。ずっと連絡をしていなかった日本の友達や師とも電話をしたり、失っていたものをすこしずつ取り戻している実感があります。
新学期が明日から始まります。
Wood Programには、残念ながら今後かかわることができなくなってしまいました。
とれる授業をこなして、木に触って、なんとかやっていきたいと思います。
お正月がなくて全く新年感がないんですが、気持ちをきりかえて明日から頑張ります
では。